未来に架ける人の輪・音の輪 第10回 津山国際総合音楽祭の公式ホームページです。

第10回 津山国際総合音楽祭委員会

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音楽監督メッセージ②

第10回津山国際総合音楽祭協賛事業


津山市国際総合音楽祭委員会
〒708-0022
岡山県津山市山下68
津山文化センター内

電話受付 9:00~17:00

音楽監督メッセージ②

テーマ Vivat Tsuyama

 

   

  

第10回目、30周年記念の津山国際総合音楽祭について<広報つやま>7月号が特集を組み、冒頭に指揮者の下野竜也のインタヴュー記事を掲載している。現在最もアクティヴな指揮活動を展開している油ののりきった指揮者の下野は、<・・・この話の依頼があった時、うれしさと同時に、わたしが思うマーラーの聖地である津山で演奏することに緊張を覚えました>と語っている。<マーラーの聖地である津山>というのは、いささか面映ゆいが、30年以上にわたってこの音楽祭に携わってきた者にとっては、特に専門家の評言だけに心からうれしく思う。

 10回にわたる音楽祭では、ほぼ毎回テーマを掲げてきた。第10回目のフェスティヴァル・テーマは、<グスタフ・マーラーと同時代の音楽>で、マーラー(18601911)と同時代を生きた作曲家たち、リヒャルト・シュトラウス(18221905)、エリック・サティ(18661925)などに光をあて、まったく別の角度からマーラーの音楽の特質を明らかにしようとプログラムを組んだ。オープニングの10月21日の演奏会では、リヒャルト・シュトラウスの《死と変容》、マーラーの《交響曲第4番》がとりあげられるが、実は隠し球としてアンコールに誰でも知っている文部省唱歌《ふるさと》のオーケストラ版を準備している。マーラーと同時代の日本の音楽界は、文部省唱歌の時代であり、高野辰之(注1)作詞、岡野貞一作曲のコンビで《ふるさと》の他、《春の小川》《春がきた》《紅葉》《朧月夜》などの名曲が発表されている。今回の演奏の特色は、番場俊之という作曲家(京都市出身、アメリカ留学、ベルリン在住)の編曲したオーケストラ・ヴァージョンを使用するという点にある。ステージ上には当日のソリストの今久保宏美と下野が客席に向かって指揮をして全員の合唱になる。10回目30年のメモリアル・イヤーの歓びの音楽といってよいだろうか。

 もう一人の同時代人のサティは、まさにマーラーの対極としての音楽活動を行った作曲家である。今回は、《ヴェクサシオン》というめったに演奏されない作品に取り組む。短い音楽の断片を840回繰り返すという作品で、演奏時間は14時間から18時間かかるというとてつもない発想の音楽で、20世紀後半の反復音楽やミニマル・ミュージックの先駆的な作品になっている。津山版では、片手しかピアノの弾けない人のためにプロのピアニストがもう一台のグランドピアノの前に待機してサポートするというお膳立て。第1回目から10回目まで30年にわたって音楽祭を支えてきた青柳謙二が、満を持してプロデューサーを務める。フェスティヴァルは祭り、<サティのごんご祭り>、吉井川から城山に場所を移して参加されることを期待している。

 津山洋学資料館は津山市の宝で、これまで何度も洋学と洋楽のコラボレーションを試みてきた。プレ期間の10月13日には、資料館で古楽器(リコーダー)の世界の巨匠ヴァルター・ファンハウヴェ教授他を招聘し、古いオランダ音楽(15世紀フランドル楽派)から始めてリコーダーの音楽を楽しむ。この音楽祭の期間に、<絵画史料に見る江戸の洋楽事始>という展覧会も開催するので、<洋学>と<洋楽>のコラボレーションは、蘭学の街津山でしか実現不可能な催しといってよいだろう。

 30周年のメモリアル・イヤーの音楽祭、第1回目から携わってきた音楽監督としては、30年の歴史のあれこれの場面 たとえば創始者の渡邉雄の逝去とか、作陽音楽大学の移転等 を詳しく論じたいと思う。しかしそのためには、紙面を新たにして、歴代音楽監督、マーラーの演奏曲目等のデータをしっかり集めて史料集を作るべきだろう。今回その作業をしておかないと、私たちの歓びと汗と涙の歴史はすぐに消えてしまうと思う。

 音楽の祭り、フェスティヴァルとは、音と人との出会いの場であり、私はこの30年間に、実に多くの人々と出会うことができた。私はもっぱら、ひたすら、それらの友人たちに教えを受け続けた。ここで今思い出す人々について語りたいと思うが、もちろんそれは不可能なので、最も強い感銘を受けた2人について話しておきたい。1人は音楽愛好家、勝山(岡山県真庭市)の元全国商工会連合会会長の辻弥兵衛(19151996)、1人はパリ・マーラー図書館長のアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ(19242017)である。

 私が勝山の老紳士に初めて会ったのは、第1回目の音楽祭のシンポジウムの時であった。その数年前から津山市を訪問してこの古い

城下町が蘭学という新しい学問の街であることを知った私は、音楽祭にアカデミーの部門を設けたいと思い、フランス、ドイツ、イギリス等

から超一流のマーラー学者を招聘し、日本の作曲家や音楽学者たちとレクチャーやシンポジウムの会を開いた。吉田楽器の小さなホー

ルには作陽音楽大学の学生たちが出席したものの、津山市民の姿はほんのチラホラしか見かけなかった。そのなかで定刻前に座席に

座っている白眉の老紳士は非常に目立つ存在で、しかも連日必ず出席するのだった。その後、親しく言葉をかわすようになり、辻弥兵

衛は、勝山の御前酒の店主にして類いまれな音楽ファンであることがわかった。私たち東京の音楽関係者、アンリ=ルイドナルト・ミッ

チェル、マーラー孫娘のマリーナ・マーラーらは、辻家を訪問し、庭を見学して、日本間の上に絨毯を敷いた試聴室でLPレコードその他

を聴いた。辻弥兵衛は何者か?稀代の音楽愛好家であることは明明白白であるが、あまり明瞭でないこともあり、遺族に確認すべく、こ

の夏に白壁や格子窓やなまこ壁の勝山再訪の小旅行に出かけた。人口2,000人にも満たない勝山は、旧出雲街道に通じていて、美し

い静かな佇まいを見せている。結局遺族にはお会いできずに、著書や岡山県人物名鑑のような本でデータを確認することにした。辻の

著書には《地域(まち)からの出発》(日本経済通信社、1979年)で、この著書の主張を今様に言いかえれば、<地域創生>ということに

なるだろう。津山国際総合音楽祭は、音楽文化の領域で30年も以前に<地域創生>の事業に取り組んできたのである。辻は音楽祭の

主催者として活動することはなかったが、強力なサポーターとして音楽祭を支えていた。辻の音楽愛好家としての水準は極めて高く、

4,000枚から5,000枚のレコードのコレクションは筆舌に尽くし難い。辻のエッセイ集《一日一題》(山陽新聞、1968年)が出版されていて、

音楽に関する批評もあり、<ある音楽会>と題する文章では、厳本真理弦楽四重奏団のバルトークの《弦楽四重奏曲第六番》の演奏批

評を書いているが、日に見事な筆さばきで、その耳と心の確かさに驚かざるを得ない。

弥兵衛には6歳年下の美津子夫人、ロンドンに住む令嬢の弘子がいて、辻家でこの2人の素晴らしい女性にあったことを覚えている。美津子の不思議なタイトルのエッセイ集《わたしゃ、まぁいいほうでさァ》(文芸社、2004年)は、弥兵衛の本よりもはるかに詳しく、当時の勝山、津山、岡山の音楽状況について語っていて興味深い。朝比奈隆指揮の京都管弦楽団の最初の岡山公演の時には、芝居小屋の汚い畳の上に座って聴いたり、勝山の有名な<酒蔵コンサート>には、尾高直忠、木下保、伊達純など当時の第一線の音楽家が出演した話も書かれている。そういえば現代邦楽というジャンルで日本音楽集団のメンバーとともに活躍した三木稔という作曲家(19302011)がいるが、美津子のエッセイによれば、若い頃の三木は勝山で創作の筆をとっていたらしい。私は三木の晩年、アメリカのセントルイスのオペラ《じょうるり》の世界初演を見に行ったことがあった。

 アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュは津山に2度滞在している。この世界的なマーラー学者の講演集《グスタフ・マーラー -失われた無限を求めて》という日本語だけしか存在しない著書が1993年に私と井上さつきの共訳で出版された。ともかくこの講演集を読んでも、アンリ=ルイは世界一のマーラー評伝研究家である。3巻からなるマーラー評伝は、3巻3,600ページ。重さにして5キログラム。英語、イタリア語に翻訳されている。親しくなった私はパリ第8区のヴェズレイ街、図書館の上の私邸に宿泊するようになった。アンリ=ルイは、津山のことをいつも気にしていろいろ訊ねてくる。ある時《考える人》の彫刻家ロダン作のマーラー像を購入しないかという提言があった。マーラー図書館、ロダン美術館、(公財)津山文化振興財団の間で幾分複雑なやりとりがあり、第1回目からのマーラー音楽祭の強力な推進者の浮田佐平が私財をなげうって購入することになった。そのマーラー像は、オープニングの日に除幕式が行われ、日本では唯一津山市にだけに存在することになった。マーラーの<聖地>のシンボルである。

 アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュは、その長い名前からも想像できるように、貴族の血をひく人物で、その著書の論旨はいつも<明証性>にみち、感情に流されて爆発するようなことはまずない。しかし、2度目の津山滞在の時のシンポジウムの最後に、大きな声と大きな身振りで<Vivat Tsuyama!>、<津山万歳!>と唱えた。よほど津山が気に入ったのであろう。2017年1月27日に逝去したアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュについては、電子音楽雑誌の<メルキュール・デ・ザール>に<惜別>と題した追悼文(注2)を書いたので、これ以上論じることはやめたい。ここでもう一度博覧強記の学者の声を思い出しつつ、30年にわたってこの音楽祭を支えてきた津山の方々に、<Vivat Tsuyama!>のエールを送りたい。

 

(注)最近文部省唱歌が再評価されていて、東京藝術大学付属図書館でも<高野辰之展―唱歌「ふるさと」の原点をたずねて>という資料展が開かれた。

    興味のある方は、音楽祭委員会事務局にパンフレットが15部ありますのでご覧になってください。(先着順)

(注2)http//mercuredearts.com/